tour Arui Wa Anarchy
- meteornightrain
- 2014年9月26日
- 読了時間: 3分
或いはアナーキーという睨視すべかざる芸術のアルヴァムをひっさげて全国28カ所に渡るツアーを行ったバクチク。 僕は奈良公演がハイライトでした。(或いはアナーキーは関西、名古屋含め4公演いったので)旧曲も違和感なく溶け込み。あっちゃんのパフォーマンスのヤヴァさに驚嘆し、そしてクライマックスに向かいメランコリアでステージの空気が変わり、そして、無題、形而上流星の刹那の感覚。形而上流星では手を握り締めました。 名古屋の黒色すみれさんとのパートもよかったです。Dollが美しく舞いました。大阪かNKホールは映像化すると思うのでBUCK-TICKと共に彼女たちのパフォーマンスに夢中になりたい。スタンディングもフィッシュタンクオンリーも含めいくので幸せな一年になりそうです。 或いはアナーキーは狂った太陽と表裏裏合わせの存在にある。 狂った太陽ーー'92年にリリースされたこのアルバムは冒頭の共犯者達への投げかけと変わって行く主人公、そして孤独の影の中の独白で終わる太陽に殺サレターー太陽が狂うーー限りなくシュールリアリズムなタイトルのその影絵の中の孤独、私的な自身の消失と言う現実を歌い切ったアルヴァムに或いはアナーキーは表裏一体の様に並ぶ。 ダダ ディスコの勢いで始まり、それがノット フォウンド、無題と続き形而上流星で「夢を見た」と歌われ。ララララ・・のリフレインで終わるこのアルヴァムは時期的にも悪の華に続くアルバム狂った太陽に似ている。 ボードレールで眠れない、世界は闇に満ちている、二つの欠落したナンヴァー・・芸術は存在するのなら「モデルヌ、現代性」を持ったもので無くてはならない。それはフーゴ・バルが著書の中で何度も触れているランボーの地獄の季節のもっとも重要な一説だーー睨視すべきーーそれは主人公がボードレールが好きで太陽にほど思っていて太陽なんかいらないという言葉や闇の色彩に言及される言葉で贖いきれない欠落だ甘美な死骸の様に。 ボードレールランボーの太陽と海を包む闇、それを天使のリボルバーで表現しているはず。 ボードレールはこの世の闇に存在している。 その二つの欠落を持ったとしても或いはアナーキーは現代芸術の中にあっても睨視すべかざるアルヴァムでそのツアーは睨視すべかざる表現だ。 そして黒色すみれの存在。彼女達がアンコールで出て来た時に炎に忍びよって来る甘美な香り。ヴィクティムス オヴ ラヴ。ドール。ディアボロといつ絶える事の無い官能的な時間を現したこの双子の少女人形はその色濃くの残る官能の雫れさせていくように去って行く。響く「名残惜しいけれど」あっちゃんの言葉。そして続くラヴパレード。 アンコール#2そこでNHKホールではステップネスーバレード、ナショナルメディアボーイズ、夢魔とエンディングを迎える。その時言ったとされる「手が痛むまで叩いて下さい」 喝采は死を招く。 このしらせを聞いた時僕はふと感じた。結婚をし、バンカーの社長を引き継ぎ(一代目はヤガミトール)私生活、音楽活動共に充実しているはずのあっちゃんのその懊悩は静かに進行しているのではないかと。 それは同じ狂気を持つ自分が感じた残響。月光に照らされる影である自分の闇に囁く声だ。 ヴィデオはサヴタニレアンズからDOLL。映像化されるはずのいくつかの"希有"であるものと同じ様に映像化されるこのツアーに黒色すみれの二人が出る様に。
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